日本茶の文化継承 〜Part.1 行政編〜

天皇陛下に献上するお茶を昨年、牧之原市静波体育館で静岡県茶手揉保存会が、手揉みで謹製しました。牧之原市茶手揉保存会からも10人の奉仕者が、回転揉(ころがし)、天繰(でんぐり)製法を披露し、5月下旬、牧之原市献上茶謹製事業実行委員会が、この日作られた最高品質の手揉茶を、皇室へ献上しました。日本の伝統文化継承お茶の技術・歴史・ココロを大切にしている人々の素顔をお伝えします。


牧之原市茶業振興協議会・牧之原市役所

牧之原市茶業振興協議会・牧之原市役所

牧之原市は、相良町と榛原町が合併し平成17年10月誕生しました。このまちの歴史をひも解くと、徳川幕府の名老中である田沼意次が築いた「相良城」の城下町として栄えていましたが、幕末(今の言葉で例えると)リストラされた武士たちが、自分たちの力で何か事業を起こさなければならなくなりました。明治2年、徳川15代将軍慶喜の護衛隊である新番組隊長中條景昭とその部下300人が、南には駿河湾、北には台地が広がる温暖な気候と長い日照時間の地理的な条件に恵まれたこの地を開墾し、お茶の木を植樹したそうです。先人たちが築いた茶基盤は、現在2590ヘクタールの茶園へと広がり、荒茶生産量日本一となっています。
原木哲夫さん(静岡県牧之原市役所産業経済部お茶振興課 - お茶振興係長)

原木哲夫さん
(静岡県牧之原市役所産業経済部お茶振興課 - お茶振興係長)

まちの発展は、市民・行政・企業がつながりを深めながら行動することで活性化されるといわれます。私の生まれ育った牧之原市でも、日本最大の茶産地であるという市民の誇りが、一体となり、お茶の伝統・伝承へとつながっています。牧之原市茶業振興協議会である牧之原茶の生産農家、製茶工場、流通業者、農協、行政は、牧之原市茶手揉保存会、茶商組合、JAハイナン、日本茶インストラクター、学識経験者などから構成され、お茶の生産・加工・流通、そして販売に至るまで、一体となった茶業振興を図り活性化を図ることを目的としています。牧之原市役所お茶振興課は、牧之原市茶業振興協議会の事務局になっています。

■健康ブームが、お茶離れだった世代に、
自動販売機でお茶を選ばせる時代となりました

お茶のペットボトルは、日本国内はもとより、台湾・上海・北京・韓国、東南アジア、フランス、オランダでも販売されています。国によっては、お砂糖を入れて飲んでいると聞きます。ペットボトルの緑茶は、やはり、急須で入れたお茶と比べると風味が全然違いますね。しかし、緑茶を普及させるためには、きっかけが大切なことだと思いますので、世界の方々が、自動販売機で気楽に緑茶を味わっているということはうれしいことです。

■世界へ牧之原のお茶を届けたい 〜『富士山 静岡空港』開港〜

平成21年3月、東名高速道路相良牧之原インターから9km(車で10分)に「富士山静岡空港」が開港されます。その空港は、台北から2時間40分、東アジアへは日帰りで就航することができます。空港開港とともに、「日本の牧之原茶を飲みに来ました」と世界の人々が、気軽に牧之原市を訪れてくれるといいですね。

平成21年、新空港の誕生が楽しみです

世界の人々は、飛行機の窓から見える富士山や茶畑牧之原台地から日本をどのようにイメージしてくれるのでしょうか。

日本茶の文化継承 Part.2 では、市民編ということで、牧之原市茶手揉保存会のイベントを通じ、茶摘みから手揉みまでの流れ、そして市民への振る舞いをご紹介します。歴史や文化に誇りを持ったお茶の街を密着取材しました。

日本茶の文化継承 Part.2 〜市民編〜 は こちら



■インフォメーション
『富士山 静岡空港』は人と自然にやさしい空港です

空港建設地には、貴重生物やさまざまな動植物が生育する豊かな自然環境がありました。そこに生息していた動植物を、適した土地に移植や復元しています。棚田やスズカアオイなど数少ない植物も移植・増殖、源氏蛍の放流や里山の復元、そして“ビオトープ”作りなど、牧の原の豊かな自然を守っています。(詳しくはこちら


「はいばらふるさとの森」の“ビオトープ”
調整池などの水辺環境や、さまざまな動植物が生息する自然環境を復元し、また新しく作るなどしています。


移植した田んぼで沢山の子どもたちが参加して行われた田植え。子どもたちは空港周辺の苗代で育てた稲の苗を水田に移し植え、泥んこになりながら稲の成長を楽しみにしていました。